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2008年7月24日






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株式会社岩の原葡萄園 製造部/上野翔さん
オシゴトの内容は?
ワイナリーのさまざまな仕事をしますが、主にワイン瓶詰めの監督・オペレーターをしています。瓶詰め機械がトラブルなく安定して稼働するよう管理します。ほかにもぶどうの栽培からワインの醸造まで、製造全般を幅広く行います。

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えぐち・あゆむ
1964年12月16日生まれ、新潟市出身。市内の高校を卒業後、東京のデザイン専門学校へ。レコード会社に勤務しながら、1986〜89年に劇団遊@機械/全自動シアターに所属し、演劇活動で舞台に立つ。1995年に新潟に戻り、1997年に新潟のお笑い集団「NAMARA」を結成。2005年にはNAMARA缶詰めカフェ「awesome(オーサム)」と、「新潟古町演劇場」立ち上げに協力。数々のイベントの企画、プロデュースのほか、ラジオやテレビ番組への出演、司会、講演会、執筆などマルチな才能を生かし、多方面で活躍している。
1997年に全国初となる地方都市に活動拠点を置く、お笑い集団「NAMARA」が誕生。新潟というお笑い不毛の地で、はじめは誹謗中傷を受けるなど、数々の壁にぶつかりながらも、独自の視点でアイデアを駆使。社会問題をテーマにしたり、障害がある人とのコラボで東京進出を果たすなど、今やイベント、講演会などに引っ張りだこのマルチ集団に上り詰めるまでに成長を遂げた。今年で結成10周年を迎える(有)ナマラエンターテイメント代表の江口氏に、これまでの人生について語ってもらった。
ー学生時代はどんな学校生活を送っていましたか。
高校の時は新設の学校に通っていたのですが、初代生徒会長だったんですよ。でも問題を起こして2カ月でクビになりました(笑)。勉強にはまったく興味がなかったのでラグビー部に入って、学校というよりはラグビー部に通っていたようなものでした。部活だけはまじめにやりましたね。仲間がいたので、部活が唯一の取りえというか、自分の居場所でした。でも結局のところ、また問題を起こして部活もクビになったんです(笑)。唯一のよりどころを失いましたが、今でいう「不登校」によくならなかったな、と思います。そんな問題ばかりを起こしていましたが、退学にはならなかった。初代生徒会長だったからでしょうかね(笑)。
ー いわゆる不良だったのですか。
マッチ(近藤真彦)と同世代で、ボンタンをはいてたばこを吸うヤンキーとか、僕らの中学校時代は一番学校が荒れていた時期でした。でも僕の場合はそういうのではなかった。かといってオタク系でもない。体育会系でもあって、生徒会長もやって。変人キャラでしたね(笑)。ですから当時は働くっていう意識がまったくありませんでした。バイトもしたことがないですから。ただし、編集には興味があったんです。
ー それでデザイン系の学校に進学されたんですね。
そうですね。東京のデザイン専門学校の編集科に。でも基本的に飽き性なんですよ。小学校の時からマンガを描いていたんですが、扉を描いて1ページでもう終わり。最後まで描けない。結局、専門学校に在籍しながら、小さなレコード会社で初めてバイトを経験しました。
ー 東京では仕事をする傍ら、劇団にも所属していたそうですが、お笑いに興味を抱いたのはいつ頃からですか。
実家は農家だったのですが、親父がアルコール依存症だったため、怒鳴り声が飛び交うなど、家庭には一切笑いがなかったんです。何かほしいと言えば、その都度レポートを書けと言われました。とにかく親父が怖いというトラウマがありましたね。そんなストレスから小学校6年生まで夜尿症に苦しみました。でもその当時、学校では人気者だったんですよ。面白いことを言うことで周りを笑わせるというモテ要素を発見して(笑)。ビートたけし世代なので、無意識のうちに負の部分を笑いに変えられるというか。今になって思うと、家庭内のうっぷんを学校で晴らし、精神的なバランスを取っていたのかな、と思います。

ー今の仕事に就く上で、影響を受けたことはありますか。
10代後半に聴いていた「ビートたけしのオールナイトニッポン」に刺激を受けましたね。お笑いの楽しさ=発想の勝負。アートの世界よりもお笑いの方が、自分に合っているのかな、と感じさせられました。でも芸人さんが俳優を演じたり、映画監督をしたり、絵画を描いたり…と、何でもできる。お笑い的な発想がどこにもつながっていくような気がして、ラジオを聴いていて自分の薄っぺらさを痛感しました。いろんなことを吸収しなければと、専門学校に所属しながら美術館へ行ったり、お芝居を見たり…。結局、バイトしていたレコード会社に就職して、CDの企画から制作、販売までを手掛けました。CDは爆発的にヒットし、社員数人で数億円の売り上げになったのですが、買っていくお客は隣に作った僕がいても誰も気付いてくれない。どうせ表現するならダイレクトがいい、とその時に思ったんです。
ーそれで新潟に戻られたわけですね。
友人宅で酔っぱらって3階のベランダから転落し、右大腿(だいたい)骨と手首を骨折し入院生活を送ったことや、親父の死なども重なってこともあって新潟に戻りました。もともといずれは新潟に戻って何かをしようとは思っていましたけどね。
ー「NAMARA」を結成したきっかけは。
地元の青年ネットワークを通じて、会報誌を手掛けるなどして顔を広げ、97年に「新潟素人お笑いコンテスト」を開催。この時にかかわった人を中心に立ち上げました。
ー結成後はご苦労もあったかと思いますが、どんな活動をしてきましたか。
10年前の結成当初、新潟の人は根暗で引っ込み思案で、自殺率も日本一というような土壌でしたので、お笑いで喰っていけるの? とよく言われたものです。お笑いで食っていけるの? とよく言われたものです。最初は自分たちが生活するために立ち上げたのですが、自分が一番面白いと思っている人間ばかりだったこともあり、なかなか受け入れられず、にっちもさっちもいかない状態。ギャラも少なかったですしね。その後、呼んでいただいたお客さんには相手に合わせ、期待以上のものを返していこうという意識に切り替えました。それでも4〜5年はほとんどただ働き同然。でも立ち上げて5年目くらいに、社会的にタブー視されているような問題でも面白おかしくコントにすることで、次第に社会的に認知されるようになったような気がします。
ーでは、今の仕事についてどのように考えられていますか。
プロダクションの社長で、お笑い好きのオヤジです。「NAMARA」は、自分たちの好きなことをする集団なんだけれど、自分たちの好きなことをして大衆が喜んでくれた時が、一番心地いい瞬間。何はともあれ、相手に喜んでもらいたい。働くとは、言い方を置き換えれば「傍の人が楽」になるとも言えます。傍の人に楽しんでもらう、というのが働く行為かなと。働く=面白く、が僕らの考えていること。それで喜んでもらうと「感謝」という形で報酬をいただける。マニュアルがないので、この先どうなるか分からない。だからこそワクワクするんですよね。逆に変化していく自分が楽しい。10年後、自分が何をやっているかはまったく想像できませんが、笑いのある空間=平和な状況だと思っているので、大衆に認知され必要とされていたいですね。また、常識に縛られている人に他の方法はあるよ、というような、いろいろな選択肢を提案していきたいです。
ーところで江口さんが企業の採用担当者なら、面接で学生のどのようなところを見られますか。
「とりあえず、何かしたいことはありますか?」と尋ねますね。ウチで言えば、好きなことをできる場所。自分でやりたいと思ったことを実行する場所なので、何かやりたいことを持っている人は採用しますね。
ー最後に、これから社会へと羽ばたく学生たちにメッセージやアドバイスをお願いします。
何かやりたいことがあると僕はそこに潜り込んでいたので、就職活動をしたことがないんですよ。一生懸けてやりたい仕事だったら、すぐに飛び込めばいいんですよ。学生の時からバイトでもタダ働きでもいいですから。学生の就職って、ある機会を境に一斉にスタートしますよね。それっておかしいと思うんです。社会が決めたルールかもしれませんが、フライングすると何か罰でもあるの? って感じですよね。最低限のルールはあるにしろ、自分がやりたいことに対して、世の中の常識は関係ないと思います。環境によってどんどんと常識は変わっていきますし。生きていけるならニートでもいいじゃない。ニート=新党と書いて政党も作れますよ(笑)。僕は40歳を過ぎてからこの仕事がいいな、と思ったくらい。イチローみたいに小学生からこれだ、と将来の仕事を決められる人は稀ですし、適齢期にしても多数決で決められたこと。人それぞれが違うんですから考え方ひとつです。その時期がきた時にシフトすればいいんですよ。自分の中で無理という言葉は使ったことがありませんが、否定的に思った時点で脳みそが閉ざされてしまいます。
何につけても今の社会は、いつの間にか多数決で決められた常識に縛られ過ぎています。それは僕らから言わせると世の中がすべて反対に見えるんですよ。時代や環境によって常識はどんどん変わっていきますので、自分の思った道にどんどんチャレンジしてみてください。
お笑い不毛の地・新潟からお笑い集団という、これまでにない団体を作り上げ、さまざまなアイデアを駆使した地道の活動が認められ、今では全国区となった江口さん。いつの間にか決められてしまった世間の常識と対峙(たいじ)し、非常識とされていた問題を題材に、面白おかしくコントで表現する。「お笑い」を通して地域を盛り上げ、ハードな社会問題をも柔らかく伝える。自分の信じた道へと向かって意志を貫き通す、開拓者魂を強く感じさせられたとともに、「常識にとらわれることはないよ」という温かいメッセージに、すっと気持ちが楽になったような気がした。

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