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2008年7月24日
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株式会社岩の原葡萄園 製造部/上野翔さん
オシゴトの内容は?
ワイナリーのさまざまな仕事をしますが、主にワイン瓶詰めの監督・オペレーターをしています。瓶詰め機械がトラブルなく安定して稼働するよう管理します。ほかにもぶどうの栽培からワインの醸造まで、製造全般を幅広く行います。
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ひろせ・まさや
1967年5月4日生まれ、茨城県出身。青山学院大学時代にインカレで準優勝、優秀選手に選出される。卒業後は熊谷組、大和証券でプレーヤーとして活躍。'98年に現役を引退し、大和証券のコーチを2年間務める。'00年、新潟アルビレックス(現・新潟アルビレックスBB)誕生を機に初代ヘッドコーチに就任し、新潟へ。'01年、日本代表アシスタントコーチ、同年と'03年にはユニバーシアード日本代表アシスタントコーチも兼任。'05年、bjリーグ発足に伴い株式会社新潟スポーツプロモーションを退社。プロのコーチとなり、改めて新潟と契約を結ぶ。
新潟アルビレックスBB
ヘッドコーチ
廣瀬昌也 氏
2000年、日本のバスケットボール界で初のプロチーム「新潟アルビレックス(現新潟アルビレックスBB)」が誕生した。チームの初代ヘッドコーチに就任し、現在も指揮を執っているのが廣瀬昌也氏である。日本初のプロバスケットボールチームという未知の世界で勝負することを決め、「bjリーグ」発足時には自身もプロのコーチへと転身した。バスケットボールというスポーツを仕事に選んだ男の、揺るぎない思いを探る。
絶対に 譲れないものがある。
― 大学時代は、どのような学生生活を送っていましたか。
バスケットの推薦入学だったので、バスケットに関しては真剣に取り組んでいました。ただ、オンとオフのギャップは激しかったですね。僕らの頃というのは、「大学時代は人生の夏休みだ」という感覚で表現していまして、思いっきり遊んで大学生活を満喫しようと考えていました。だから卒業も単位ギリギリでしたし、決して褒められた学生ではなかったですね。まあ、バスケットだけは、自分なりに情熱を注いでいましたけどね。
― 大学卒業後は、実業団バスケットの強豪である熊谷組に入社されました。
大学3年くらいまでは、就職を普通にして社会人になったらバスケットはやらないんだろうなと思っていました。でも、学生選抜に選ばれたり、ユニバに出たりして、バスケットの強豪チーム数社から誘いを受けたんです。
それで「俺でもできるんだ」と思いまして、いくつかの中から熊谷組を選んで就職をしたわけです。
― 当時はプロではなく企業スポーツの一環でしたから、会社員として仕事もされていたのですか。
はい。8時30分から17時30分まで仕事をして、一度寮に帰って晩飯を食べて、それからバスケットの練習を21時くらいまでしましたね。忙しい時期は、その後また会社に戻って、仕事をすることもありました。その頃は、働きながらバスケットをするのは当たり前のことだったので、大変だとは思わなかったですね。
― しかし、入社4年目に突然の休部発表があったわけですね。
そうなんです。シーズンは11月から始まるのですが、9月に突然の休部発表があって、目の前が真っ暗になるという経験を初めて味わいました。あんなにショックだったのは初めてでしたね。当時、熊谷組は、3年間でリーグ2回とオールジャパン1回優勝した日本のトップチームだったんです。しかも、メンバーはちょうど脂の乗ってきた選手が多く、これから黄金期を迎えるだろうと言われていたのです。私自身も26歳でまだバリバリ動ける年齢でしたし。そのような時期の休部発表でしたので、計り知れないショックを受けましたね。
― その後はバスケットを続けるために大和証券へと移ったわけですね。
そうです。ここでも8時30分から17時すぎまで仕事をして、それからバスケをしていました。ところがやはり土建屋と金融屋の違いっていのは社風に出るものでして。なかなか会社になじめなかったんです。熊谷組はファミリー的な和気あいあいとしたところがあって、伸び伸びと育てていただいたのですが、大和証券に入ると1円どころか何銭の世界じゃないですか。会社の雰囲気が全然違う。そのうち慣れるかなと思っていたけど、1年間やってもどうも好きになれない。またバスケットでもリーグのベスト4を逃したんです。熊谷組時代は常にベスト4に入っていたので、相当悔しかったですね。当時、熊谷組から一緒に大和証券に入った先輩は会社員として入社せず、プロ宣言して契約選手になったんです。私にもその選択肢はあったのですが、安全な永久就職を選んでいました。でも社風が合わないことと、負けたという悔しさも強くて、会社のほうに契約になりたいと伝えたんです。そうしたら了承をいただいたので、これでもう一生バスケで食べていこうと腹をくくりました。
― そして選手として活躍され、現役引退後はそのまま大和証券のアシスタントコーチになられましたね。
運がよかったんですよ。会社のほうから声をかけていただきました。基本的に教えるのが大好きなんです。小中学校の頃、将来は先生になりたいなと思っていた時期もありましたし、高校時代も練習が休みの日は出身中学に行って後輩の指導をしていました。今度は好きなバスケットを教えることに情熱を注ごうと決めたんです。
― ところが、2年目に大和証券バスケットボール部が休部になりました。
現役のときに味わったどん底の経験を、今度はコーチという立場で味わいました。選手の気持ちを考えるとやるせない気持ちでいっぱいで、なんとかならないかなと考えていたんです。4月の頭に休部発表があって、それからいろいろな人に会って相談していました。そんなときに、ある高校のサッカーの先生と出会って、「6月にGM講習会があるから行ってみないか」と声を掛けていただいたんです。そこで一緒のグループだったのがサッカー・アルビレックス新潟の池田会長と中野社長で、話をしているうちに私がバスケットをやりたいと言うと、アルビレックスは総合スポーツを目指しているということでトントン拍子に話が進み、大和証券のバスケットボール部を母体として新潟アルビレックス(現・新潟アルビレックスBB)が誕生したんです。
― 日本初のプロバスケチームを率いるということに対して、不安はありませんでしたか。
責任と不安はありました。しかし来た当初は体育館すらなかった状態なので、練習場の確保や練習日程の調整などで駆けずり回っていましたから、大変だと思う余裕もありませんでした。土日はクリニックやスクールを開催していましたし、休むヒマがなかったですね。1、2年目は合わせても5日も休んでいないですね。当時はチームを運営している新潟スポーツプロモーションという会社の社員でしたから、チームの管理すべてをやらなければいけなかったんです。
― 休みなしでもがんばることができた理由というのは何だったのですか。
プロチームのコーチとして今でも思い続けているのですが、夢と感動を与えられるチームにしたいということ。それは何かというと、華々しさではなくて、地味でもいいから一生懸命やる姿を子どもたちやブースター(ファン)の皆さんに伝えるということ。お金を払って見に来てもらっているんだから、どんなときでも全力で戦わなければいけない。プロチームのコーチとして何が大変でしたかと言われると、選手にプロとしての高いモチベーションを維持させることですね。そうやって、「プロとは何なのか」ということを自分自身で考えながら、選手に問い掛けながら、チームを作ってきました。そして何より、大好きなバスケットボールに情熱を注ぎたいという揺るぎない思いがあったからです。
― 昨年のbjリーグ発足とともに、会社を退社してプロコーチとなられたわけは。
社員のままでコーチを続けていると、責任をとれないからですね。日本初のプロチームとしてスタートし、1試合にかける重み、勝ち負けの重みというのは、どのチームよりも強く意識してきました。夢とか期待とかそういうものを一つひとつ積み上げながら作ってきたからこそ、重みが分かるんです。でも、それに対して社員のコーチでは責任がとれない。それで、プロリーグになるときにここしかないなと思ったんです。自分自身にプレッシャーをかけた。社員のコーチだから負けてもチームに残れるというのは、選手に対して失礼ですし、プロリーグが始まる以上、それは取るべき道じゃないなと思ったんです。きちっと自分で責任を取る環境に身を置きたいなと。会社からは辞めないでアルビレックスBBのために協力してほしいと言われましたが、それはプロコーチになってもできると判断しました。僕もアルビレックスBBは大好きですから。一から育ててきた、自分の子どものようなチームですから。ただ、そこに甘えは許されないなと思ったんですね。
― ところで、もし廣瀬ヘッドコーチが面接官だとしたらどのような学生を採用しますか。
まず、どれだけその会社を好きかということ。そして、運がいいかどうかを本人に直接聞きます。「運がいい」と答えた人にはぜひ入社してほしいですね。その運を少しでもわけてほしいですから(笑)。
― 最後に、これから社会に出る若者たちに向けてメッセージをお願いします。
選手にも言っていることなんですが、人間の素晴らしさは、自分の意識を持てるということ。プロ野球でもイチロー選手などの一流選手がいますが、彼らが持っている最も優れた能力は高い意識を持って努力する継続性なんですよ。自分の意識の持ち方によって、人生は大きく変わります。第一志望の会社に就職できたからといって、高いモチベーションを保てるかというとそうではないし、希望とは少し違ったところに入ったとしても、意識の持ち方で生活レベルは変わってくると思うんです。イヤだからやらないんじゃなくて、よくなるためにはどうしたらいいかというポジティブな意識を持つ。壁にぶつかったときは指示待ちをするのではなく、乗り越えるためにはどうしたらいいかと考える。その思考力をしっかりと持つこと。いろいろな壁にぶつかると思うのですが、それは意識の高さだとか、前向きな考え、そして考えるための思考力というものを身に付けていけば乗り越えられます。ぜひ、前向きに考える意識を持って挑戦し続けてください。
揺るぎないものがあるからこそ、見えてくることがある。揺るぎないものとは、大切に抱えている夢かもしれないし、はっきりとした目標かもしれない。家族を守りたいという人もいるだろうし、趣味に情熱を注ぐでもいい。廣瀬さんの場合は、バスケットがそれにあたる。常にバスケットを基準にして目標を見つけてきた。不安も不安と感じずに、ここ新潟で、誰も乗り越えなかった壁を軽々と飛び越えた。そして現在も、日本のバスケットシーンをリードし続けている。廣瀬さんの人生は、バスケットをしていない人にも多くのことを教えてくれた。大切なのは、自分の頭で考え、判断すること、視点を動かし、体を移動させるんだと。これと決めた道さえあれば、何も恐いものはない。
Text:山田英行
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