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2008年10月12日
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俳優、会社員、映画監督、テレビディレクター、作家など、現在に至るまでいくつもの職を転々とした。好きなことを追求していたら、いつのまにか注目される存在になっていた。自らに湧き起こる疑問に対し、素直な気持ちでまっすぐに突き進む森氏。鋭い視点から繰り出される切れ味のよいコメントで、今もっとも注目されている発言者のひとりである。
― 映画監督、テレビディレクター、作家などいくつもの肩書きがありますが、森さんのされているお仕事について教えていただけますか。
もともとはテレビのドキュメンタリー系の番組を制作していました。その後、映画を撮っていましたが、今は活字の仕事が主で、月に10本ほどの連載を抱えています。もともと書くことが好きだったんですよ。高校生の頃は作家になりたいと思ったこともあったんです。大学時代は舞台の脚本も書いていたし。新潟日報紙面にも連載させてもらっていますが、新聞でこんなに過激なことを書いていいのかなって思うくらい自由に書かせてもらっていますよ。
― 現在に至るまでの経緯ですが、まず、大学時代に就職活動はされていましたか。
就職活動はあまりしませんでしたね。何も決めていなかったんです。映画もやりたいし芝居もやりたい。でもやっぱり不安で、公務員試験を受けようと思ったこともありました。結局、卒業はしたけど就職はせずに約10年間芝居を続けていました。まあ、フリーターですね。あの頃はそんな言葉ありませんでしたけど。
― 俳優業から、なぜテレビの番組制作の世界へ入っていったのでしょうか。
28歳ぐらいのとき、芝居の演技力がなくて自分には役者は向いていないんだということに気付いたんです。同じ頃、結婚して子どももできました。役者といえどもそれで生活できていたわけではなく、アルバイトをしていましたから。子どもがいるのに皿洗いじゃまずいと思って就職したんです。当時はまだバブルの残り火があったから景気がよかったんですね。でも、どこかで映像をやりたいって気持ちがあったんです。未練を払拭しないまま仕事をしていましたから無理が出てきて。3つ会社を変わったんですけど、結局どこにいってもやりたいことの周りをうろうろしているだけだなと。それで、映像をちゃんとやろうと思ったんです。いまさら映画の世界にいっても映画の助監督なんて給料はないに等しいですからね。じゃあテレビだったらなんとか食えるかなっていう安易な発想でテレビの仕事を始めたんです。
― 周りにテレビ関係の仕事をしている人がいたのですか。
いないいない。新聞でテレビ番組の制作会社の求人を見つけて、すぐに応募したんです。それが30歳の頃ですね。僕はドラマをやりたかったんですけど、入った会社はドキュメンタリーを制作している会社だったんです。決まってからそれを知ったんですね。今さら辞めるわけにもいかないので、やってみようかなと。そしたらおもしろかったんです。普段行けないところに行けるとか、会えない人に会えるとか。最初の仕事が海外だったのですが、それまでは貧乏で海外なんて行ったことがなかったから行けるだけで興奮しちゃって。ある日、香港の九龍城という悪の巣窟と呼ばれているところにたまたま入っちゃったんです。香港マフィアが大勢いて入ったら殺されるといわれていたところに。でも、実際に入ったら普通に生活している人がけっこういるんですね。なんだ普通じゃないかって思って。あれは自分の中で大きかったなぁ。
― 自分の目で確かめなければわからないと感じたわけですね。
そうですね。みんなが危ないとか恐いとか言っているものは、意外とそうではないんだなぁと。世の中にそんなに恐い人や場所っていうのはそうそうないんだって。その体験がすごくおもしろかったですね。
― そこでだんだんとドキュメンタリーにハマっていったと。
ところが、2、3年経っちゃうとおもしろさは消えちゃうわけですよ。しょっちゅういろんなところに行くわけだし。だんだんつまらなくなっちゃいましたね。ドキュメンタリーの限界というものにもぶつかって。中立公正にとか、客観的にとか。何か違うなと思いながら続けていたわけです。だんだん自分の中でフラストレーションが溜まってきて辞めちゃおうかなって思ったときに、オウム真理教の事件が起こったんです。
― これだと感じたわけですか。
いや、別にオウムに興味はなかったんです。その頃すでにフリーランスでしたから、自分でテレビ局に企画を出して許可をもらって仕事になるわけです。当時は、普通の企画をやっている場合じゃないと。なんでもいいからオウムを持ってこいってそういう時代ですよ。だから、生活のためにしょうがなくオウムを撮ろうって思ったんです。周りのマスコミもみんな朝から晩までオウムでした。ただ、誰もオウムの中に入って信者に取材はしようとしなかったんです。
― どうやって取材許可を得たんだと周囲のマスコミから聞かれて、「取材アポの電話をしただけだよ」って答えたんですよね。
そう。電話をして手紙を書いたんです。みんなは、取材は無理だと決めつけていたんですね。それで僕だけ取材することができたんです。それがオウム真理教をテーマにしたドキュメンタリー映画『A』につながっていくんですね。
― そのような鋭い視点を身に付けるにはどうしたらよいでしょうか。
まず、現象というのは多面的であるということを知る。今の既成のメディアが陥っちゃっているのは、その息をするところが自分でなくて会社であったり民意であったり、そっちに徹しちゃっているということ。だから、みんな同じになってしまうんです。これはメディアの問題ですけど、見る側としては、いろんな情報があるとしたら、これはいろいろ面があるうちの視点なんだと。そうやって見れば間違いはないと思うんですけどね。
― 新聞も各紙によってさまざまな意見がありますが、ひとつの新聞を読んでそれがすべての情報だと思ってしまう人も多いのではないでしょうか。
確かにそうなんですよね。メディア側もそれを考えなければいけない。だからこそ、もっと主観的な報道をしなければいけないし、見る側も主観的な判断をしなければいけない。ただ、学生にそこまで求めるのは難しい。だから、新潟日報をとっているのであれば、紙面ではこう書いてあるけれども、違う方向からみれば違うものが見えるんだろうなというイマジネーションを持つこと。常にそういう意識を持てば、日本も変わっていくかも知れないですね。
― もし、森さんが企業の採用担当なら、どのような学生を採用しますか。
面接のときに、ハキハキものを言ったり、意思表示がはっきりしたりしている人は嫌いだな。ぐじぐじしたやつのほうが好きですね。「なんかよくわからないけどいいと思ったんです」って言われた方が好感を持てます。はっきりと答えられるわけないと思いますよ。それは結局マニュアルどおりの答えでしかないですからね。たとえば、なぜあなたは新潟日報を選んだんですかって聞かれたとして、ほんとは朝日新聞に行きたかったけど、いろいろな地方にもいかなければいけないしとか、いろいろあるわけじゃないですか。ただ、ぐじぐじした人はほかの面接官からは選ばれないでしょうね(笑)。
― それでは、就職を控えた学生に向けてメッセージをお願いします。
きれいごとになっちゃうけど、世界にはいろんな人がいて、今この瞬間にもいろんな悲劇が生まれているわけです。だからこそ、自分の周りだけではなくて世界を意識してほしいですね。最近は自分さえよければいいって若者が多いと聞くんですが、もしそれが本当ならつまらないですよ。事件にしろ現象にしろ、物事には多面的な見方があるんだって知った方がおもしろいです。それを一面だけしか見ないから、憎悪が生まれるんです。日々の生活の中でも、しゃがんでみるだけで景色が変わるわけだし、高いところに登れば遠くまで見えてくる。多面的に見ると、世界は豊かなんだなっていうのが、人は優しいんだなっていうのが分かるんです。人間って素晴らしいなと思えて、人に対して優しくなれます。世の中にはあらゆる情報がありますから、常にクエスチョンマークを持って生活してほしいですね。そうすると、自分自身の人生が充実して、必ずおもしろくなりますよ。
森氏は著書『いのちの食べかた』のあとがきをこのように締めくくっている。「ゆっくり歩こう。いろいろ悩みながら。いろいろ考えながら。いろいろ眺めたり、発見したり、ため息をついたりしながら。どうせゴールなんて、そんなに変わらない。」物事をあらゆる角度から眺めて、ゆっくり歩くということ。将来に不安を抱えてしまったとしても、焦らず騒がずゆっくりと、生きて、生活して、人と関わって、自分自身のアイデンティティを組み替えてみる。急がば回れ。もしかしたら、それがいちばんの近道なのかもしれない。
森 達也(もりたつや)
1956年広島県生まれ。映画監督、ドキュメンタリー作家。中学、高校時代を新潟市で過ごす。立教大学卒業後、俳優業、不動産、広告会社を経て、89年、テレビ番組制作会社に入社。数々のドキュメンタリー系の番組を手掛ける。96年からフリーランス。98年、オウム真理教をテーマにしたドキュメンタリー映画『A』を発表。ベルリン・香港など各国映画祭に出品し、海外で高い評価を受ける。その続編『A2』も01年に完成。著書に『悪役レスラーは笑う―「卑劣なジャップ」グレート東郷』、『ドキュメンタリーは嘘をつく』など多数。2005年1月から新潟日報生活紙面で毎月第1土曜日に連載「世界を抱きしめて」を執筆中。
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