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2008年12月4日





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株式会社東陽理化学研究所 技術開発部皮膜開発グループ 主任/横山瑠理子さん
オシゴトの内容は?
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1993年、華やかに開幕したサッカーJリーグ。このプロリーグの発足に伴い、選手達は次々にプロへと転向。そんな中、実力は十二分にあるもののプロにはならず、所属会社の社員のままJリーグでプレーして注目を集める男がいた。アルビレックス新潟・反町康治監督その人である。 その決意の裏側にあった仕事にかける思いとは?日本サッカー界屈指の理論派監督が語る、ビジョンの描き方。
   

反町 康治(そりまち やすはる)
1964年3月8日埼玉県生まれ、静岡県育ち。清水東高校卒業後、慶應義塾大学を経て全日空に入社。1993年のJリーグ開幕を全日空を母体とした横浜フリューゲルスで迎える。全日空の社員契約ながら試合に出場し「サラリーマンJリーガー」として注目された。
1994年全日空を退社し、プロ契約でベルマーレ平塚に移籍。中田英寿と中盤でコンビを組んだ。日本代表として国際Aマッチ4試合に出場。1997年で現役を引退。サッカー解説者を経てスペインでサッカーのコーチングを学んだ。帰国後、2001年のシーズンよりアルビレックス新潟の監督に就任。


―まず、監督業という仕事のおもしろさについて教えてください。
おもしろくなんかないですよ。つらいことばかり。でもこの仕事はなりたくてもなかなかなれるものではないんで、自分に与えられた使命、責任というものを十分果たすために、日々、何がチームにとってベストなのかを考えています。新潟の場合は特に、皆さんの期待が大きく、思いも伝わってきますから、注目される仕事としては評価もされるし、やりがいはあります。

―好きなことを仕事にしたかったという意識もありましたか。
両極端ですね。好きなことを仕事にするとそれはそれで大変だし、好きなことは趣味としてやったほうが楽かもしれない。だから、現役というかサラリーマンのときは仕事のストレスをサッカーにぶつけて、サッカーのストレスを仕事にぶつけて、非常に感覚的によかったんですよね。サッカーだけの生活になると他に刺激が欲しくなると思う。ただ、人にはやっぱり、好きなことでお金儲けできてうらやましいねって言われます。それはやっぱり十中八九そうだと思いますね。まあ、結局仕事人間になったのは間違いないですね。他のことに全然興味がなくなってきて、人間的に成長しているかっていうのはわからないですけれどもね。

―サッカー以外にしたいことはありますか。
映画鑑賞ですが、新潟に来てから映画館は2回して行ってないですからね。この4年間で2回ってのはかなり壊滅的ですよ(笑)。それは何とかしなければと思っているけど、なかなかそうはいかないですね。

―サラリーマン時代という話が出てきましたが、大学卒業後、全日空に入社を決めた理由は?
昭和62年に入社したんですけれども、ちょうどその年に初めて全日空がグアムに運航を開始して、非常にワールドワイドでグローバルな会社だなと。自分の中では世界にまたがる仕事がしたいという思いが強かったので。会社の勢いにも魅力を感じていましたし。

―サッカーのことは考えていなかったんですか。
まったく考えていませんでした。もうサッカーはやらないと決めて、普通に就職活動をしていました。ほかにも総合商社をまわったりして、サッカーからは足を洗おうと思っていましたね。

―でも、全日空にサッカー部もあったわけですよね?
そうですね。企業レベルのチームがあって、最終的にはそこでサッカーをすることになり、今ここにいるわけですが。入った会社に、たまたまサッカー部があったという言い方になりますね。

―サッカーでご飯を食べていこうとは考えていなかった?
その時期は本来の仕事、パイロットの管理をしていましたが、それがメインでサッカーは福利厚生の一環みたいな形でとらえていました。福利厚生というと語弊があるかもしれないけど、午前中は会社に行き、午後はトレーニングをして、仕事が残っていればまた会社に戻るという生活を最初の5年間くらいですかね、やっていましたね。それからプロ化になるって話が出始めて、全日空も横浜フリューゲルスになってJリーグに参加すると。そこからいろいろと状況が変わってきて、今まで企業スポーツだったものがプロスポーツに変わるわけですから。それぞれみんないろんな道を歩き始めて試行錯誤していたときでしょうね。いきなりそういう波が押し寄せてきたわけですから。

―Jリーグ発足に伴い、ほかの選手がプロへと転向する中、反町監督がプロという道を選ばなかった理由とは?
会社の中で仕事を続けていたいという思いですね。しっかり仕事もやらせてもらえていたし、自分の立場も明確だったので。あと、年齢的なもので、サッカーは40歳になってもできるようなものじゃない。そのときもう30近くになっていたので、はたしてプロに行ってどれだけやっていけるかなという、単純に年齢的な問題ですよね。あとは、全日空側が、社員契約という立場でもJリーグに登録できる道を作ってくれたので、だったらそのほうがいいかなって単純に考えたんですよね。現役を引退したら仕事に戻るという意識でいましたから。 それは少なからず近い将来のもので、そのときに路頭に迷うのではなく、人間関係も含めて会社の業務をこのまま遂行していきたいという意識がありました。ただ、最後の2年間ぐらいは、出向して会社に行くってことがほとんどなくなって、サッカーやることが仕事になって、それはちょっと会社における自分の立場を考えましたね。もう会社に戻ることは出来ないんじゃないかと。長く続ければ続けるほど、サッカー的にはいいかもしれないけど、会社的にはよくないという葛藤があったのは事実でしょうね。 Jリーグを1年やって十分やっていけるっていう自信がついたのもあるんですけど、Jリーグが異様なほどのムーブメントになって、それはやっぱり心が揺らいだっていうのも、もちろんあるんでしょうね。

―全日空を退社して、プロ契約でベルマーレ平塚に入りました。
理由は、他の選手とプロという同じ立場でゲームをしたかったっていうのがあったんじゃないかと思います。チームを変えたのは、どうせプロになるのだったら、環境を変えてゼロからのスタートでやったほうがいいかなと思ったからです。

―そのプロ選手時代にコーチの資格を取るわけですが、将来を見据えてのことですか。
選手時代は時間だけはたくさんあるんで、自己啓発に力を注いでいました。将来的にどういう風になりたいと描いたわけじゃなくて、コーチという仕事を違う視点から見たかった。

―コーチになろうと思っていたわけじゃないんですか。
必ずしもそうじゃないです。サッカーシューズを脱いで辞めたあとは、サッカーに携わる仕事が99%だと思ったけれども、選択肢がたくさんあったほうがいいわけで。指導者であったり、解説者であったり。そのためにまったく逆の世界をみたかったというのがあるわけですね。

―そのベルマーレ時代にチームメイトだった中田英寿選手も当時、税理士の勉強などにも力を注いでいましたが、それは反町監督の後ろ姿を見てのことでしょうか。
あいつは人の姿を見て何かするタイプじゃないよ(笑)。

―引退してから解説者などの仕事をしながらも、最終的にコーチの道に進まれたわけは?
98年のフランスW杯で、日本が3戦して、1戦目と2戦目はテレビ関係の仕事で日本にいましたが、ようやく3戦目のジャマイカ戦で現地に赴いて試合をみました。そこで日本がまだ全然世界のレベルに達していないっていうのを実感したんですよね。それで現場で日本のレベルをアップさせることが必要かなと感じて、じゃあ指導者ってことをもうちょっと正確に考えることが必要かなと思ったわけです。

―就職を控えた学生たちが、反町監督のように夢を叶えるためには、どうしたらいいでしょう?
まずは明確な目標を持つことが大事なんじゃないでしょうか。今の就職難というこの時期は、やはり手に職を持っているというのは強いよね。自分の個性を生かせる、得意なものを持っているというのは。今の社会ではなんでもできるっていうよりも、これだけは負けないっていうのを持っている人のほうが、いいのかもしれない。 昔はなんでもできるっていうマルチタイプがよかったかもしれないですが、今は違うね。アルビレックス新潟だって、選手を採用するときにフォワードの選手だけ獲得したってダメなわけだし、そういった部分はやっぱり、手に職というか、ちゃんとした技量をもっている選手にチャンスが生まれますよね。 ただ、自分の個性を伸ばすだけで生き抜けるとは思えないから、日々勉強して、個性を伸ばしながら、それ以外もレベルアップを目指さなければいけないのは間違いないよね。とにかく、どのような仕事をするにせよ、仕事を好きになって、自分から進んで行くこと。それが大事だと思います。

「なぜ、こうするのか」「なぜならば、こうだから」。反町監督の発言には、いつも明確な論理が立っている。『論理的思考力』。これは、これからの社会を生きていく学生にとっても、間違いなく必要とされる能力のひとつだろう。人に言われたことをするだけではなく、自分で考え、行動する。一見当たり前のことが意外にもできていないのは、何も学生だけのことではない。「周りがみんなそうしているから」ではなく、自分はどう考えるのか。この反町イズムが、若者たちに浸透すれば、もしかしたら新潟は、アルビレックスとともに、今までにない活性化をみせるのかもしれない。

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